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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)3732号 判決 1958年7月28日

原告 古河林業合資会社

被告 古河鉱業株式会社

主文

原、被告間において昭和二十九年四月八日仲裁人岡田完二郎のなした仲裁判断は、これを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「原告が被告に対し昭和二十九年四月八日仲裁人岡田完二郎のなした仲裁判断に基き別紙目録記載の鉱業権につき被告を単独の権利者とするように登録手続をなすべき義務の存在しないことを確認する。」とのほか、主文第一、二項同旨の判決を求める旨申立て、その請求の原因として、

第一、(本件仲裁判断の成立ならびにそれまでの経緯の概略)

一、原告会社は、もと、合名会社古河鉱業会社と称したが、昭和四年増資のうえ当時古河家に属した山林事業の移管を受け且つ商号を合名会社古河林業部と変更し、ついで昭和二十六年八月十日組織を合資会社に変更したものであり(以下原告の前身たる合名会社古河林業部をもあわせて原告という。)、被告会社は、大正十年古河商事株式会社を、昭和十六年古河合名会社を逐次合併したものであつて、いずれも、もとはといえば古河家の経営するところであつた。

二、あたかも、支那事変から太平洋戦争にかけ国家は戦時体制として、鉱業関係につき、重要鉱物増産法(昭和十三年法律第三五号)を制定したほか、国家総動員法(昭和十三年法律第五五号)、同改正法(昭和十六年法律第一九号)第十六条ノ二、三に基き企業整備令(昭和十七年勅令第五〇三号)を、また同法第十八条に基き重要産業団体令(昭和十六年勅令第八三一号)を各公布施行して、産業別に統制会という団体を設立せしめ、国家の強権発動を楯に、資材、資金、労務等の統制をなしたから、各種事業は軍需会社あるいは軍需事業場の指定を受けないかぎり、事実上経営不可能な状態となつた。

三、原告は当時阿仁鉱山を所有経営していたが、右事業を継続するためには、右情勢に対応して早急に軍需事業場の指定を受ける必要があつたのに、その適格を缺いた関係上、臨戦体制として許容される限りの便法として、昭和十九年六月二十日阿仁鉱山の経営を被告に委託し(以下右契約を「委託経営契約」という。)、右委託経営の必要上原告の有した阿仁鉱山の全鉱業権(別紙目録記載の鉱業権外六鉱区。ただし右鉱業権中、秋田県採掘権登録第七一七号以下七鉱区は、当時同目録中括弧内表示の試掘権であつたが本訴提起後の昭和二十九年六月五日共同鉱業権者たる原、被告共同の転願手続により採掘権となつたものである。)につき被告を共同鉱業権者として加入させることとし(甲第一号証)、昭和十九年六月三十日その旨の登録を完了した。

四、しかるに、軍需省からさらに強力な要請、指示を受けたので、原告はこれに基き昭和二十年二月一日被告との合意により阿仁鉱山の事業経営自体を被告に譲渡し(以下右契約を「譲渡契約」という。甲第二号証)、ついで同日附を以て若干の附随的事項を定めた(以下右約定を「附帯契約」という。甲第三号証)。もつとも、譲渡契約の履行上必要な細目については早急に定め得なかつたため後日別にこれを協定すべく約した(甲第二号証記載の第五条)。

五、しかるところ、右細目に関する協定は、その後昭和二十年八月十五日終戦を迎えて戦時体制が解消した事情も加わつて、原、被告間の協議にもかかわらず、ついに成立に至らなかつたのみならず、原、被告間にはその他にも種々の懸案事項(たとえば、太良鉱山沈澱池敷地貸借の問題)が存在しこれが解決をも迫られていたので、原、被告は、昭和二十八年八月二十九日以上の事項につき岡田完二郎を仲裁人に選定し、その仲裁判断に服すべき旨の契約をなし(以下右契約を「仲裁契約」という。)、右契約につき覚書(甲第四号証)を作成した。しかして岡田仲裁人は右事項のうら譲渡契約および附帯契約に関する前記細目(甲第四号証表示の二、(二))につき昭和二十九年四月八日別紙記載の主文を以て仲裁判断をなし、その頃、民事訴訟法第七百九十九条第二項所定の手続を了した。

第二、(仲裁判断の違法)

一、まず、本件仲裁判断は、仲裁契約当事者間において仲裁判断を受くべく合意した事項の範囲を逸脱した違法がある。

(一)、岡田仲裁人は前記のように仲裁判断に付された譲渡契約および附帯契約に関する細目につき、本件鉱業権の登録を原、被告の共同名義から被告の単独名義に変更すべきことを命じたが、譲渡契約および附帯契約においては、本件鉱業権(正確にいえば、その二分の一の持分)は譲渡の目的とされていないから、右契約の履行上鉱業権登録の問題が生じるいわれはない。まして鉱業権の登録は、単なる権利変動の対抗要件でなく、効力発生要件すなわち鉱業権の変動を創設する法律原因であるから、契約履行上必要な細目たるべき性質のものではない。

(1) 、この点は原、被告間に交換された文書により明瞭である。譲渡契約につき作成された甲第二号証の契約書には譲渡の対象として、「阿仁鉱山ノ鉱業事業一切」(前文)ないし「阿仁鉱山ノ鉱業事業上ノ権利義務及設備一切」(第一条)と記載されているが、その字句上鉱業権を含むものとは解せられない。のみならず、右契約書の第一条には「甲(被告)ハコレヲ譲受ケテ引続キソノ経営ニ任スルモノトス」と特記されているが、これはすなわち、原、被告が委託経営契約に基き共同鉱業権者となりその結果組合契約をなしたものとみなされ(旧鉱業法第七条)、民法の組合契約の規定にしたがつて業務の執行をなすべきところ、そのさい被告を代表者と定めたため、譲渡契約においては、被告に引続きその業務の執行を一任するということであつて、原告が共同鉱業権を留保することを前提とするものであることは明らかである。なお、右契約書第三条に「本契約ニヨル事業引継ハ」とあり附帯契約につき作成された甲第三号証の覚書の前文に「阿仁鉱山ノ鉱業事業譲渡ニ関スル契約」とあるのも自ら譲渡の対象が鉱業事業に限ることを示すものである。

この点につき被告は鉱業事業の譲渡というからには、鉱業権の譲渡がなければ譲渡の目的を達することができないから、特にこれを除外するのでない限り当然鉱業権の譲渡を伴うものであると主張するが、これは被告が譲渡契約当時既に共同鉱業権者であつたことを忘れた議論である。

さらに遡つて委託経営契約につき作成された甲第一号証の契約書をみれば、その前文に「乙(原告)ノ経営ニ係ル阿仁鉱山ノ事業一切ヲ甲(被告)ニ委託経営スルコトヲ目的トシテ」とあり、その第一条に「経営一切ヲ甲(被告)ニ委託スル」とあるところ第二条には、「前条ノ目的ヲ達スル為乙(原告)ハ其ノ所有ニ属スル阿仁鉱山ノ全鉱業権ニ対シ甲(被告)ヲ共同鉱業権者トシテ加入セシメ」とあり、加えて第三条ではその加入手続をなすべきことまで規定している。もし譲渡契約が、本件鉱業権を被告の単独名義に登録する趣旨ならば、その契約書中にも当然甲第一号証の契約書と同様に原告をして共同鉱業権より脱退登録せしめる旨の条項があるべき筈である。しかるに、鉱業権の移動がその登録手続を経なければ効力を生じないことを十分に諒解している同一当事者間において委託経営契約の僅か半年後に締結された譲渡契約にはかような条項が設けられていない。これを以てみれば、鉱業権が譲渡の対象でなかつたことは、いつそう明白である。

なお、甲第三号証の覚書の第四条によれば、原告は被告が阿仁鉱山の鉱業事業を廃止したときは、その設備を被告から譲受けることを約しているが、もし原告が譲渡契約により鉱業権を失うのでは右約定の設備を譲受けても、鉱業経営をなしえず右約定は無意味になる。

要するに、譲渡契約は、委託経営契約が阿仁鉱山の事業経営を被告に委託したのに対し、該事業を被告の単独経営に移譲したものである。つまり、これにより経営形態ないし経営の主体が変更し経営の計算関係が全部被告に帰したにすぎず、鉱業権は、なお原告に共同権利の形で留保されているのである。というのも、当時国家が要請した臨戦体制としては右の経営形態で十分であつて、軍需省の指示(甲第二号証の前文)にもとるものではなかつたのである。もし鉱業権自体までも移動させなければ臨戦体制として不十分であつたならば、主務官庁たる軍需省からこの点の指示がなければならないが、特にさような指示はなかつた。

(2) 、しかして原告が譲渡契約ならびに附帯契約において本件鉱業を留保するには、それ相当の縁由があつたものであつて、以下の経緯にこれが窺われる。

(イ)、(原告が本件鉱業権を取得した経緯)

阿仁鉱山は、もと、原告会社とは姉妹関係にあつた(いずれも古河家の経営)被告会社の所有、経営に属していたが昭和六年二月空前の財界不况に見舞われたため、被告会社においては右鉱業権をすべて放棄して、維持費を節約する方針を決定した。しかし、その結果右鉱業権が他人の手に渡り恣に運営されては、原告会社が同鉱山において経営中の山林事業に響くおそれが多分にあるので、当時原告会社阿仁鉱業所長であつた立石巖夫は林業保護の見地から、右鉱山の主要鉱区を古河家の経営として継続維持すべきことを被告会社に進言し、また当時原、被告両会社の社長を兼ねていた古河虎之助に懇請したが、結局、被告会社は別紙目録記載の鉱業権中僅かに秋田県採掘権登録第八五号、第八六号、第九〇号の三鉱区を除きその他はすべて放棄、休山した。立石は、やむなく訴外羽根田勇(義兄)に依頼して、昭和八年中将来古河家で必要とするときはいつでもこれに譲渡する約のもとに右羽根田名義で秋田県試掘権登録第一三一一六号、第一三三一〇号の二鉱区を設定せしめるところもあつたが、たまたま、旧記その他により阿仁鉱山(もと銅山)地帯に金鉱を発見したので失業者救済のためその採掘を始め、ついに阿仁鉱山を千人の従業員を擁する金鉱として再興し、昭和十三年には東北地方第三位の産金量をみる鉱山に仕上げた。その間において立石は昭和八年八月正式に原告会社の阿仁鉱山の鉱業代理人となり右鉱山を原告の事業として経営することとなつたが、当時被告会社専務理事佐々木敏綱に対し分業上右鉱山は被告会社の経営が適当であることを進言し、かえつて佐々木専務から、被告会社の放棄した鉱山を再興した労を多とするとの理由で引続き原告会社が経営すべく将来移譲を要求するごときことはない旨の確約を得た。しかして原告は昭和十年二月中被告会社が林業保護のため特に保持した前記三鉱区の譲渡を受けてこれが登録を了したほか、同年から昭和十五年にかけて、別紙目録記載の鉱区(前記三鉱区を除く。)外数鉱区の鉱業権をあるいは第三者(前記羽根田勇を含む。)との合意により、あるいは新規設定により取得した。

なお、以下記述の都合上立石巖夫の立場につき附言すると、同人は大正十三年原告会社の内地山林の全林業所(阿仁林業所を含む。)所長となり山林経営に従事し、その後原告会社の阿仁鉱業所長をも兼ね、昭和十三年には右在任のまま原告会社の林業副部長、昭和十八年には同林業部長となり、さらに昭和二十年二月譲渡契約と同時に被告会社阿仁鉱業所長をも兼務することになつたがその間上述のような功績を買われて当時の原告会社々長古河従純から将来原告会社の無限責任代表社員ならびに被告会社の取締役の地位を約束されたくらいであつて、被告主張のように古河家全事業の最高決定機関として被告会社の社長室会議があつたとはいえ、昭和十八年以降原告会社においては、いわば総支配人的立場におかれ、むしろ、重要事項については立石の賛否により事が決せられ、委託経営契約、譲渡契約、附帯契約ならびに仲裁契約等も、すべて同人と被告側との折衝によつて成立したものである。(当時の原告会社代表社員菅谷隆良は委託経営契約ならびに譲渡契約の締結を立石に一任していた。)

(ロ)、(委託経営契約成立の経緯)

立石は昭和十九年三、四月頃、当時の被告会社専務取締役岡田完二郎(後の本件仲裁人)から「阿仁鉱山の経営を被告に移管するよう軍需省の慫慂があるが、経営の移管といつても経営の実体には少しも触れず経営名義を移すだけであるから承知してもらえまいか」との申入を受けた。しかしてその当時の客観情勢は、前記第一の二のとおりであつたが、軍需省の意向では被告会社は鉱業会社たる性格上軍需事業場の指定を受ける適格があるけれども、林業会社たる原告は、それがないから、むしろ姉妹会社の関係にある原、被告間において阿仁鉱山の事業の経営を原告から被告に移すがよかろうというのであつて国家的見地からやむをえないものがあるとともに、原告としては、当時甚だしく逼迫していた物資配給を受けるためにも軍需省の慫慂に従うのが有利であつたので、立石は岡田の右申入れを快く了承して、委託経営契約を締結した。すなわち、右契約をなしたのは、情勢上阿仁鉱山の経営名義を被告に移すべき必要に基くものであつて、原告が当時所有していた鉱業権まで被告に移転すべき要請があつたわけではない。唯被告を共同鉱業権者として加入せしめたのは、鉱業法上鉱業権者でなければ、鉱業事業を営みえないため、経営名義を被告名義に移すことに伴う措置としてなしたにすぎないのであつて、実質的に鉱業権を譲渡したものではない。これは、共同鉱業権の加入が無償でなされたことから明らかである。被告は、委託経営契約は鉱業権の全面的移転を予定し譲渡契約までの一時的便法としてなしたものであると主張するが、委託経営契約は軍需省の主として重要鉱物増産法(昭和十三年法律第三五条)に基く慫慂によるものであるところ、譲渡契約はその後あらたに企業整備令に基く統制に即応する必要が生じたためなしたものであつて、両者間には被告主張のような関連はない。甲第一号証の前記契約書には将来譲渡契約を締結することを窺わせる文言がないのみならず、かえつて同契約書の第九条によれば、暫定的契約でないことを裏書するように契約期間を二ケ年とし、さらにこれを更新しうることを規定しているのであつて、このことからしても当時譲渡契約のごときが予想されていなかつたことは明らかである。また、もし当時、鉱業権を全面的に移転する旨の了解が成立していたとするならば、簡明に被告単独名義に登録すべきことを約定するにしくはなく、委託経営契約の迂遠な方法をとる必要はなかつたであろう。短時日に鉱業権の評価をなすことが困難であつたため、暫定的に委託経営契約をなしたものであるという被告の主張は全く理由がない。現に後述の伊藤万清技師の評価算定は約二ケ月を以て完了しているのである。なお譲渡契約にも委託経営契約を前提とする約定はない。

(ハ)、(譲渡契約成立の経緯)

越えて昭和十九年十月頃、立石は岡田完二郎から「被告は阿仁鉱山の鉱業事業を譲受けるよう軍需省の命令を受けたので不本意ながらこれに従う外はないが阿仁鉱山の鉱区は、原告の林業保護のために確保され、その開発も立石の努力によつたものであるから、いずれにしても、原告に残すべきものは残すことにして、折衝に応じてもらいたい。」との申入を受けたが、時既に敗戦の色濃く、軍需省の命令も一段と強圧の度を加えつつあつたので、やむなく右申入れを受諾した。

しかして同月中伊藤万清技師が被告の命を受け阿仁鉱山の現地において諸施設その他の物件を仔細に検討評価したが、その際立石は伊藤に対し、「鉱業権は林業保護の必要上原告に保留したい。しかし情勢上やむをえないならば、これも譲渡するがその場合には代金は鉱業権を五百万円、その他の事業上の諸設備を五百万円とし合計金一千万円とされたい」と申入れた。伊藤技師はこれを予期していたごとくであり被告本社の幹部と連絡しながら立石と交渉をつづけ、結局、鉱業権は林業保全のために原告に残すことが適当であり、またこれが評価も容易でないとの理由で、鉱業権を除外し各鉱区の存在鉱量ならびに設備のみを譲渡の対象としてこれが譲渡価格を算定することを納得し、この方針のもとに評価に従事し、後に作成された阿仁鉱山譲渡代金精算書(乙第三号証)の基礎資料を得、これを整理して、上司の諒解を得たうえ同年十二月中立石との間において最終的評価を金三百二十二万二千五百六十円(甲第二号の第二条)とすることを決定した。これに基き伊藤技師は被告会社常務取締役岡田完二郎に、立石は原告会社代表者菅谷隆良にそれぞれ報告し、その諒解を得て、ここに譲渡契約の基本事項が確立した。ついで立石は昭和二十年一月中、当時日比谷の旧美松ビル内にあつた被告会社文書課事務室において(この点につき、被告は当時いまだ旧美松ビルに移転してはいなかつたと主張するが、被告会社が正式に右ビルに移転したのは被告主張のように同年五月であつたとしても、被告会社の文書課だけでは文書保存の必要上本文記載の日時既に堅固な不燃性ビルたる旧美松ビルに移転していたものである。)、被告会社文書課長乾義雄からその起草案文を示されたが、そのさい、乾文書課長との間において鉱業権が譲渡の対象から除外されていることの確認を得たうえ、文面を審議し、譲渡の目的として第一条に掲げられた「阿仁鉱山ノ鉱業事業上ノ権利義務及設備一切」なる表現に、鉱業権が含まれないことは、常識上当然のことと考えてなんらの疑も持たずこれを容認し、他に二、三の字句を訂正しただけで右案文を受諾した。なお、立石から契約履行上必要な細目についても詳細規定することが望ましい旨を提案したが、あたかも、情勢緊迫の折なので、結局、右契約書には基本条項をうたうに止め、履行の細目については後日原、被告の友好的協議にまつこととし、そのことを第五条に定めた。乾課長は右協議においては絶対に原告の不利益になるようにはしないことを確約した。

しかして、前記譲渡の対価たる金三百二十二万二千五百六十円の算出基礎は、引継財産の内訳ならびに一応の評価のために作成された引継財産目録(甲第七号証)記載の評価額金三百十八万五千百八十三円十三銭を伊藤技師の申入れにより金三百十七万五千百四十二円と修正し、これより被告において引継支払うこととなるべき従業員退職金二十万円を差引き設備の残存価値金二十四万七千四百十八円を加算して決定したのであつて、鉱業権を評価したものではない。ここに設備の残存価値を加算したのは、引継財産目録の建物設備品の評価額が時価の半額程度であつたので、これを考慮し、一般に固定資産の全額償却を完了してもなお一割の残存価値があるとの通説に従つたものである。なお、その金額二十四万七千四百十八円は前記引継財産目録の評価額の三百十八万五千百八十三円十三銭に固定資産に属しない調度品代の金七十一万一千円が含まれているので、これを控除した残額金二百四十七万四千百八十三円十銭の一割を算出し円未満を切捨てたものである。もつとも、正式の譲渡代金の構成としては、建物、設備、備品台帳の評価額から調度品代を差引いた金二百四十七万四千百八十三円十三銭に主要坑道費金五十三万五千七百六十八円八十七銭と未完成起業費金二十一万二千六百八円(原告の帳簿価格と時価とによつて勘案)とを加算する形式をとり、これにつき原告社員山田正男と被告会社会計課長久保轍三とが協力して乙第三号証の阿仁鉱山譲渡代金請算書を作成したが、前記契約書の原案はこれに基き作成されたものである。すなわち、阿仁鉱山譲受代金精算書にはもちろん、その他にも鉱業権の価値は計上されていない。被告は本件鉱業権を汎称ホスコルド公式(厳密にはインウツド公式)に照らして評価し譲渡代金を定めたと主張するが、さような事実はない。ちなみに、ホスコルド式とインウツド式とは全く対蹠的の方法で、その間には厳然たる区別があるものである。しかしてこれらの算式は、元来あらゆる企業の投下資本に対する収益還元の算式にすぎないのであつて、この算式を用いたからとて、当然に鉱業権を譲渡の対象となしたものとみるべきではない。

なお、本件鉱業権は現在原告の決算書に資産として計上されていないが、これはその大部分が最初から計上されず、損益計算上も零となつていたからである。ただ羽根田勇より譲渡を受けた分等のうちには、資産として計上されていたものもあるが、譲渡契約により対価を取得したので、税務上貸借対照表から償却し、含み資産となつたにすぎない。すなわち、決算書等に鉱業権の計上のないのはこれを譲渡したことを裏付けるものではない。

(ニ)、(附帯契約成立の経緯)

ついで昭和二十年九月頃、原告は被告会社乾文書課長から阿仁鉱山内の電線路、受電および送電設備等は、引継財産目録中に記載がないが、譲渡契約の対象として被告の所有に帰したものであるから確認されたい旨の申出を受けこれにつき作成すべき文書の原案を示されたが、右物件は原告が将来の必要を考慮し、特に譲渡の対象に加えなかつたものであつて、本来右申出に応ずべき筋合はなかつた。しかし乾課長から株主総会において追及されては困るから譲歩してもらいたいとて懇願されたので、右案文の第一条第一、二号に但し書を加入して右原案を認容し附帯契約が成立した。しかしてこれにつき作成された甲第三号証の覚書はその日附が甲第二号証の契約書と同じく昭和二十年二月一日になつているが、これは岡田完二郎が日附を遡及して記入させたものである。

(ホ)、右の(ハ)、(ニ)の記述から明らかなように譲渡契約においては、譲渡の対象を前記引継財産目録(甲第七号証)に記載された物件に限定し、これに記載のないものはすべて原告の所有に属するものと協定されていたが附帯契約は右引継財産目録に記載されていなかつた電話線等の物件を特に譲渡の対象とすることを約したものである。本件鉱業権は、右引継財産目録に記載されていないことからしても、譲渡の対象となつていないことが明らかである。

被告は、譲渡の対象は右引継財産目録掲記のものに限らない旨を主張し、これを窺わせる事実として主要坑道および未完成起業が引継財産目録に記載なくして譲渡されたことを挙示するが、前記阿仁鉱山譲受代金精算書(乙第三号証)に、「主要坑道」とあるのは、原告が坑道開鑿に投じた経費をかりに整理した勘定項目であり「未完成起業」とあるのも同様に未完成の設備に投じた経費を、将来完成した場合には、各設備勘定に振替えることを予想しながら、とりあえず、かりに整理した勘定項目であつて、いずれも他の引継財産のように有体物として引継がれる意味ではなく、単なる会計上の勘定として引継がれる意味であるから引継財産目録に記載がないのは、むしろ当然であり、被告の主張は当らない。

要するに、甲第二号証の契約書中にいわゆる「鉱業事業上ノ権利義務及設備一切」とは、その表現がすこぶる概括的であるが、現実には甲第七号証の引継財産目録ならびに甲第三号証の覚書に記載の物件を指称するのであつて、これに記載のない鉱業所長宅、鉱山職員社宅、鉱山事務所等の建物および沈澱池その他鉱業用諸施設に使用されている土地、山内運搬軌道等のごときものも含むものではない。

被告はこの点につき本来鉱業部門に属すべき施設備品で譲渡の対象から除いたものはないと主張するが事実に合致しない。のみならず、昭和二十四年六月中、被告は原告に対し、阿仁鉱山事務所、所長社宅、倉庫等当時被告において使用中のものは譲渡契約により被告の所有となつたはずであるから承認されたい旨の申入をなし原告から甲第七号証の引継財産目録ならびに甲第三号証の覚書に記載がない旨反駁を受けこれを了承して右申入を撤回したようなこともあつた。もし鉱業権の譲渡があつたのであれば、右申入の鉱業用の土地、建物等も譲渡したはずであるが、これを譲渡した事実がないことは、まさに鉱業権の譲渡がなかつたことの証左である。

(二)、しかして、事実または、仲裁契約成立までの間に本件鉱業権の登録が譲渡契約および附帯契約の履行上の問題として生起したことはない。

(1) 、仲裁契約は、前記第一の五の経緯のもとに訴訟を回避し穏便な解決方法として当時現職を退き主として被告側のため協定の斡旋に努め問題の所在にも通暁していた岡田完二郎の仲裁に委ねては如何との気運となりその結果成立したものであるが、ここに至る足かけ七年の折衝中において、本件鉱業権の譲渡を前提として原告の共同鉱業権脱退登録に関する事項は一度も問題とされなかつた。その間に原、被告が取交した書翰ないし協定案文(甲第五号証の一ないし五、第六号証の一等)中には被告の細大且つ強硬な要求が窺われるにも拘らず鉱業権に関する事柄は全く現われていない。もし譲渡契約において鉱業権も譲渡すべく約したとすれば、原告の共同鉱業権脱退登録に関する事項は、契約の履行上必要な細目としては、きわめて重要なものといわなければならないのに、これが問題にならなかつたのは当時、被告自身鉱業権の譲渡を受けた覚えがなかつたからに外ならない。

(2) 、被告が原告に対し本件鉱業権も譲受けたものであると言い出したそもそもの初まりは、実に仲裁契約後四月半を経過した昭和二十九年一月十二日のことである。すなわち、仲裁契約後も、原、被告間においては、従前同様の事項につき協定案文(甲第六号証の二、三)の取交、又は討議(甲第九号証の一、二参照)がなされたが被告会社総務部長熊沢政雄は、右同日に至り、突如として、本件鉱業権は、譲渡契約により被告が譲受けたものであるから、原告の脱退登録申請をなすため調印されたい旨の申入をなしたものである。もとよりこれに応ずべき筋合はないので、立石は翌十三日右熊沢に対し、右申出の不当をなじり、断乎これを拒絶した。大体右申出は、鉱業権の期間満了に備え再出願をなす必要に出たものであるが、被告はこれよりさき、昭和二十七年三月三十一日、本件鉱区中、試掘権が同年五月末日を以て期間満了となるので、右試掘権につき再出願のため、共同鉱業権者たる原告の調印を求めこれが継続をはかつたことがあるから、もし被告が本件鉱業権まで譲受けたものならば、そのさい、原告に脱退登録を求めるのが、自然である。しかるに敢てこれをしなかつたのは、被告が鉱業権まで譲受けたことの認識がなかつたためである。

(三)、もつとも、原告は昭和二十六年中被告の申出に応じ委託経営契約によつて原、被告の共同鉱業権に帰した三砂鉱区(秋田県採掘権登録第九七号、第九八号、第一一三号)につき、原告の脱退登録をなし、あわせて委託経営契約当時原告において出願中のいわゆる先願権を有しその後採掘の許可を受けた四砂鉱区(秋田県採掘権登録第一一四号、第一二四号、第一二五号、第一二六号)につき、被告の権利取得の登録をなしたが、右は譲渡契約の趣旨に従つたものではなく、該鉱区がいずれも河川敷地内の砂金採取を目的とするものであつて、林業保護に関係がないところから、それぞれあらためて、権利移転の合意をなし、これに基き採掘権譲渡証書または共同鉱業権者脱退決議書を作成してなしたものである。むしろ、もしすべての譲渡契約で譲渡されたものならば、何故、そのさい全鉱業権につき被告から右同様の申出がなかつたのか理解し難い。

なお、被告は昭和二十三年三月十日原告の申出に応じ原、被告の共同採掘権たる秋田県登録第二〇七号石炭鉱区につき無償で被告の脱退登録をなしたが、そのさいにも原告に対し本件鉱業権につき脱退登録を求めることはなかつた。

(四)、結局するところ、仲裁判断を受くべく合意した事項の内容は如何というに、これが仲裁契約締結までの間に双方から具体的に提議しながら遂に協定に至らなかつた案件に限り、それ以外のものを含まないことは、前記(二)の経過に徴して明らかである。

被告は、仲裁判断事項は仲裁契約当時存在した争点のみに限らないことを主張し、仲裁契約以後に作成された甲第六号証の二、三に記載の事項を援用するが、右事項は、被告が一方的に当事者の希望あるいは見解であるとして取り纒めたものであつて、原告としてはその全部につき仲裁判断を仰ぐ意思を有したものではない。のみならず、たとえば、被告は、甲第六号証の二、三記載の(イ)、三枚通洞坑、(ロ)、川端合宿、(ハ)、防空壕および(ニ)、水道設備等の所有権の問題は、仲裁契約以前に作成された甲第五号証の一ないし三、甲第六号証の一になんらの記載がなく、仲裁契約後に新たに提出されたものであるというが、右(イ)の三枚通洞坑は甲第六号証の一記載の「第二条三の(1) 山間軽便軌道」中に包含されるものであり、これが帰属の問題は、甲第五号証の一、二にも記載されている。右(ロ)の川端合宿は、いわゆる細目協定の一部として、昭和二十五年一月十日原、被告間において引継家屋につき現地において所有区分をなしたさい、原告の所有と定め、その旨大館税務署に届出て、爾来原告において家屋税を納付し、管理していたものであつて、これにつき新しく問題が生じたわけではない。右(ハ)の防空壕は、甲第六号証の二、三においては当初の築造目的に従つて呼ばれているが、現実には築造後油倉庫として使用されていたので、原告においてはその使用目的に従い倉庫と呼んでいたものであつて、甲第六号証の一記載の「第二条三(5) 倉庫」に包含される。右(二)の水道設備はこれを揚水井戸ポンプと給水設備とに区別し、前者だけが譲渡されたものであるにもかかわらず(甲第七号証の引継財産目録の末尾記載「経理課其他備品類」に含まれる。)、被告においては後者も一括して譲渡を受けたと強弁し来たつたものであるが、右紛争として引継財産目録に記載された物件に関する問題にすぎない。)原告代表者立石本人の供述中甲第六号証の二、三の記載事項をもつて仲裁判断を受ける対象としている趣旨の供述があるが、右供述は本文記述の意味に理解して妨げがあるものではない。)

仲裁契約にさいし、被告は引割坑の索道設置を目的とする借地の問題も、仲裁判断の対象としたい旨を申出たが、立石から、そのような新しい問題は、仲裁判断の対象とすべきものではなく、その対象となるのは、甲第五号証の一ないし三に記載のある従来からの懸案事項に限る旨の反対を受け、仲裁契約に至る経過に鑑み、右申出を撤回したが、これによつても原告の右主張が裏付けられる。

これを要するに、いずれの点からも譲渡契約ならびに附帯契約の履行上必要な細目として、本件鉱業権の処分に関する事柄が入る筋合は全くないものといわなければならない。

しかるに岡田仲裁人が、これに反し、原告に本件共同鉱業権の脱退登録をなすべく命じた事情は如何と察するに、被告は譲渡契約当時、阿仁鉱山に対しては、きわめて関心が薄く、すべて原告の申出に従い原告が鉱業用の土地、鉱山事務所、社宅、山内運搬軌道のごときものは勿論鉱業権も留保することを快く同意したのに、その後昭和二十七年頃から漸次銅の価格が上昇する一方、阿仁鉱山の産銅量も増加するに及び、にわかに阿仁鉱山に対する関心を深めた折柄とて仲裁契約を利用して本件鉱業権を取得しようとの野望を抱くに至り昭和二十九年二月九日岡田仲裁人に対し、本件鉱業権の登録についても仲裁判断を求める旨を書面を以て要請したところ、岡田仲裁人は当初被告が右鉱業権まで譲受けたものとは信じていなかつたが、右要請を受けてこれに動かされ、立石の反駁に耳をかさず、あえて本件仲裁判断をなしたものである。その違法なことはきわめて明白である。

二、右一の点を見方を変えていえば、本件仲裁判断は、なんら権利移転の原因がないのに、鉱業権の移転を生ぜしめる登録を命じた違法がある。

右仲裁判断は、本件鉱業権の登録名義を原、被告の共同名義から被告の単独名義に変更すべきことを命じたが、元来鉱業法上、鉱業権はその登録とともに権利変動を生ずるものであつて、その登録は不動産登記の場合のように、単なる権利変動の対抗要件ではない。しかるに、右仲裁判断はなんら権利創設の法律原因を示さず、直ちにその効果を発生させる給付義務を命じたものであるから、まことに無謀である。唯その理由中の記載によれば譲渡契約を以て権利変動の原因となすもののように窺われるが、これはつぎに述べることを理解しない全くの独断であつて理由がない。

(一)、前述のように、原、被告は本件鉱業権につき、委託経営契約において阿仁鉱山の委託経営のため、被告を共同鉱業権者として加入せしめ、これが登録も経由し、ついで譲渡契約において阿仁鉱山の経営名義を被告に移転したが、原告が更に共同鉱業権から脱退すべきことを約した事実はない。

(二)、いわんや、委託経営契約、譲渡契約は、前述のように戦時体制下の特殊事情のもとに国家総動員法、企業整備令等を根拠とする統制に応ずるため便宜的措置として成立したものである以上、右各法令が敗戦とともに失効した今日、その効力を保持すべき実質的理由を失つたとみられるにおいては、右各契約は、これをどのように解しようとも原告に共同鉱業権の脱退を命ずべき原因とはなりえないのである。

三、つぎに、本件仲裁判断は当事者の審訊を行わなかつた違法がある。

およそ、仲裁人が仲裁判断前になすべき当事者審訊の方法については特別の規定はないが、裁判官のなす当事者審訊に準じ、仲裁人たる資格において仲裁手続上行うものであることを明らかにし、且つ争点を告知することを要し、単に話題に供するがごとき方法では足りないものと解する。しかるに本件仲裁判断手続においては、右に要求される方法の審訊は行われなかつた。すなわち岡田仲裁人は昭和二十九年四月五日、原告会社代表者立石と会談し、太良鉱山の堆積場の問題を取上げ、ついで阿仁鉱山譲渡代金の支払方法の当否の問題に移り、最後には、鉱区の帰属の問題にも渉つたが、右会談にあたり特に仲裁人として審訊するものであることを告げてはいない。のみならず、これに先立ち同年二月九日被告から争点に関する陳述書を受領しながらその内容を原告に告知することなく又右会談のさいも、立石から鉱業権の帰属の問題は仲裁判断の対象とすべきものではなく、後日原、被告間で直接協議すべきものであると述べたにもかかわらず、(被告は、立石は阿仁鉱山の採掘権は譲渡したが、試掘権は譲渡した覚えがないと述べたと主張するが、右主張は虚構も甚だしい。)独断を以て、これを仲裁判断の対象となしたが、右は審訊の方法を誤り、争点を十分に整理し当事者双方に告知することを怠つたものに外ならない。

またかりに、形式的には審訊がなされたものとしても、岡田仲裁人はかつて委託経営契約、譲渡契約、附帯契約の当事者であつた関係上本件鉱業権が譲渡の対象となつたものでないことを、十分知悉しているのであるから、公平な立場で、仲裁判断をなすならば、本件のごとき仲裁判断をなすものと思えない。しかるに故意に前記各契約につき作成された文書に眼を蔽い、これにつきなんらの判断も示さずして、本件のごとき仲裁判断をなしたのは、被告のみの一方に偏したものであつて、公正を缺くも甚だしく結局実質的には審訊を尽さなかつたことに由来するものといわなければならない。

第三、以上の次第であるから、ここに原告はつぎのような請求をする。すなわち、

一、本件仲裁判断は、前記第二の一、二のとおり著しい違法を犯したものであつて、本来の意味の仲裁判断としては存在し得ず、かりに存在するとしても無効であるから、これに基き原告が本件鉱業権につき被告の単独名義となるよう登録手続をなすべき義務は存在しない。よつて、これが確認を求めるものである。

二、本件仲裁判断は、前記第二の一、二によつて明らかなように民事訴訟法第八〇一条第一号にいわゆる「仲裁手続を許すべからざりしとき」に該当し、また前記第二の三のとおり同条第四号にいわゆる「仲裁手続において当事者を審訊せざりしとき」に該当する。よつてこれが取消を求めるものである。

と陳述し、

被告の本案前の主張事実を否認し、

立証として、甲第一ないし第四号証、第五号証の一ないし五、第六号証の一ないし三、第七号証、第八号証の一ないし八、第九号証の一、二、第十号証、第十一ないし第十三号証の各一、二、第十四号証、第十五号証の一、二、第十六ないし第十八号証、第十九号証の一、二、第二十号証および第二十一号証の一ないし三を提出し、証人村上政之助、同山田正男の各証言ならびに原告会社代表者立石巖夫本人尋問の結果(第一ないし第三回)を援用し、乙第一号証、第七号証、第九号証、第十四号証、第十五号証、第十八号証の一、二の各成立を認め、乙第十九号証は、立石本人の印影の成立は認めるが作成日時の主張は否認する、その余の乙号各証の成立はいずれも不知と述べた。

被告訴訟代理人は、本案前の弁論として、原告の請求中、本件仲裁判断に基く登録手続をなすべき義務の不存在確認を求める部分は、訴の利益がないから、訴訟法上許されない、というのは、原告は右請求の理由と全く同じ理由に基き本件仲裁判断の取消を求めているが、その取消があれば右仲裁判断に基く原告の登録義務も自然存在しないことが確定する。すなわち、右義務の不存在確認の請求は右仲裁判断取消の請求と同一の申立を言葉を換えて、申立てたにすぎず、特に即時確定を要する利益があるものとは認められないからであると述べ、

本案につき、請求棄却の判決を求め、答弁として、原告主張事実中、

第一の一の事実は認める。

同二ないし五の事実中原告主張の各法令が公布施行されたこと、原、被告間に委託経営契約が締結され、これに基き原告主張の鉱業権につき被告が共同鉱業権者として加入したこと、右共同鉱業権中、試掘権は、原告主張のように、原、被告共同の転願手続により採掘権となつたこと、ついで原、被告間に譲渡契約ならびに同日附をもつてする附帯契約が締結されたこと、ただ譲渡契約の履行上必要な細目は原告主張の事情により後日の協定に保留されながら協定が成立せずこれがため仲裁契約が締結されこれにつき甲第四号証の覚書が作成されたこと、仲裁人岡田完二郎が原告主張の事項につき、原告主張の主文を以て仲裁判断を下し、原告主張の手続を了したことは認める。

第二の事実中、右仲裁判断が原告主張のごとき点において違法を犯したことは否認する。以下原告主張の項目を追つて論駁する。

一の(一)冒頭掲記の事実中、本件仲裁判断が譲渡契約および附帯契約に関する細目につき、原告主張のごとき鉱業権登録を命じたことは認めるが、譲渡契約および附帯契約において鉱業権が譲渡の目的とされなかつたことは否認する。むしろ鉱業権譲渡の合意があつたものであるから鉱業権を被告の単独名義とする登録手続は必然的に右契約の履行々為として考えられるものであつてこれが履行の方法、時期等は、すべて契約の履行上必要な細目に該当するものである。これを譲渡契約と同時に定めず別途の協定に委ねることは勿論可能であり現にそのようにされた結果仲裁判断の対象となるに至つたものである。

一の(一)、(1) の事実中、原告主張の文言の解釈は当をえない。およそ鉱業権は鉱業事業上の権利中の本体ともいうべきものであるから、譲渡契約につき作成された甲第二号証の契約書の第一条に「鉱業事業上ノ権利義務一切」と記載された譲渡の目的たる権利の中には特に鉱業権を除外する旨を明記しない限り鉱業権を含むものと解すべきものである。けだし、鉱業事業は鉱業権を以て成立の要素とし、その経営には鉱業権者であることを要するものである故、鉱業事業の譲渡には、その事業用の鉱業権を譲渡しなければ譲渡の目的を達することができないからである。つまり、鉱業事業が鉱業権を伴わないで譲渡の目的となりうるという原告の主張は、鉱業事業の本質を知らざる謬見である。

委託経営契約につき作成された甲第一号証の契約書には、別紙に鉱業権の表示として当時原告所有の一切の鉱業権が挙げられてあるところ、右契約書第一条には、「別紙記載ノ鉱業権(以下阿仁鉱山ト称ス)云々」とあつて、右鉱業権を総括表示する契約上の用語として「阿仁鉱山」なる呼称を用いることを明らかにしている。しかして前記甲第二号証の契約書は、右用語例を当然受け継いだものとみられるから、その前文に「阿仁鉱山ノ鉱業事業一切」と謂い、また第一条に「阿仁鉱山ノ鉱業事業上ノ権利義務及設備一切」と謂うのは、鉱業権を含む鉱業事業上の権利義務および設備一切を指すものである。これは仲裁契約につき作成された甲第四号証の覚書の第二項(ト)に「林業(原告)が鉱業(被告)に譲渡したる阿仁鉱山」と表現していることからも、ますます明白である。

一の(一)、(2) 、(イ)の事実中、立石巖夫が譲渡契約当時原告会社の林業部長であり、右契約と同時に被告会社の阿仁鉱業所長をも兼ねるに至つたことは認めるが、立石はいずれにしても原告の単なる使用人であつたにすぎない。立石が原告会社の総支配人的立場においてその賛否により重要事項が決定され、委託経営契約、譲渡契約、仲裁契約等も立石と被告との折衝により成立したとの原告の主張は事実に反する。そもそも古河家の全事業は、事業の種別に従い、それぞれ別個の法人組織になつていて原、被告両会社ともこれに属したが、これら法人の重要事項は終戦時までは、すべて同家の宗主であつた古河従純と同族の吉村萬次郎、中川末吉の三人で組織する被告会社の社長室会議の議を経て決定され、当該法人によつて遵守、運営されており、阿仁鉱山の委託経営契約、譲渡契約の件も、右社長室会議の決議を原、被告が実行に移したものであつて、これにつき古河同族以外の者が容啄しうるものではなかつたのである。しかるに、立石は終戦後の昭和二十一年三月三十日原告会社の代表社員菅谷隆良から原告会社に対する出資の持分の譲渡を受けその跡を襲い代表社員となり、さらにその後古河従純が連合軍の命により追放ならびに資産の管理を受けた間に、原告会社の総出資額の四十パーセントの持分を取得し、かつ、組織を合資会社に変更してその実権を握つて原告会社の性格を一変させ従前密接な関係のもとに相提携していた被告会社との間において事毎に紛争を惹起するようになつたものである。

一の(一)、(2) 、(ロ)および(ハ)の事業は以下の記述に抵触する限度において否認する。原告は、昭和十九年春政府が軍需会社および軍需事業上を指定したさい、これに指定される適格がなく、これがため資材の割当を受ける見込もなく、いきおい経営に困難を来たし、収支悪化の状態に立到つたが、たまたま軍需省非鉄金属局から阿仁鉱山を被告に移管すべき慫慂があつたので、昭和十九年四月十五日被告会社の社長室会議で阿仁鉱山を被告に譲渡することを決定した。

しかるに、阿仁鉱山を譲渡するには、その代金額を確定する必要があつたが、右鉱山の鉱業権ならびに付属設備等の評価に時日を費しては、それだけ軍需事業場の指定、したがつて労務、資材の割当が遅れるので、右代金額の査定ができるまでの一時的便法として、原、被告間において委託経営契約を締結し、原告は阿仁鉱山の全鉱業権につき被告を共同鉱業権者として加入せしめて、その代表者となし、とりあえず、阿仁鉱山の阿仁鉱業所に軍需事業場指定の適格を与えた結果、同年十二月二十五日その指定があつた。その間に右鉱山の評価が完了し、これに基き譲渡代金額が決定したので原、被告間において譲渡契約を締結し、被告会社の社長室会議の方針を具現した。すなわち、阿仁鉱山の経営については、一時の便法としてとられた原告から被告に対する委託経営の方式を解消し、進んで被告単独の事業方式となし、これがため本件鉱業権は原告から被告に譲渡されたものである。

原告は、譲渡契約においては林業保護の見地から鉱業権は原告に保留したというが、原告が鉱業事業の譲渡を受けて、その経営をなす以上、林業に対する影響については鉱業権を譲渡した場合となんら差異がないのみならず、鉱業法上、鉱業権者は鉱業事業に着手する義務があるものであつて、林業保護のため鉱業権を保有することは許されないから原告の主張は根拠がない。

なお、譲渡契約の基本事項が、原告主張のように立石と伊藤万清技師との間において折衝された事実はなく伊藤技師は単に被告に命じられて阿仁鉱山の評価をなしたにすぎない。

また原告は、昭和二十年一月当時日比谷の美松ビル内にあつた被告会社の文書課事務室において、立石と被告会社文書課長乾義雄とが譲渡契約につき作成すべき契約書の案文を検討したと主張するが、被告会社の文書課が右美松ビルに移つたのは、同年五月以後のことであるから原告主張のような事実はあり得べくもない。ただ譲渡契約の履行に必要な細目が原告主張の事情で後日の協定に委ねられ、その旨契約書第五条に掲げられたことは認める。

しかして譲渡契約における対価の計算は次のようにしてなされた。そもそも鉱業権は、一定の鉱区内において鉱物を採掘、取得する権利であるから、その現在価値は埋蔵鉱物の数量、品質および採掘可能量ならびに採掘費等の基礎事実から将来の企業利益を測定し、なお事業終了等の残存施設等の価値を斟酌して算定すべきものであつてかかる算定方式をホスコルド公式というところ、譲渡契約における阿仁鉱山の譲渡代金は昭和二十年一月中伊藤技師が阿仁鉱山につき前記基礎事実を調査しその調査資料から演繹した年当収益金、操業手数、利率および起業費の四要素をホスコルド公式にあてはめて算出した本件鉱業権の現在価値金三百十七万五千百四十二円に立石の評価による引継固定資産の昭和十九年末現在の評価額二百四十七万四千百八十三円十三銭の一割(円未満切捨)を加算し、これから被告が引継ぎ支払うこととなるべき従業員退職金引当金二十万円を減じて決定されたものであつて、鉱業権を主たる対象とし、これに鉱業経営上必要な設備を含めて評価、算定したものである。(なおホスコルド公式は、元来二種利率算式であるところ伊藤技師の用いた算式は一種利率算式たるインウツド公式であるから厳格な意味ではホスコルド公式とはいえないが通俗的にはホスコルド公式と汎称されている。いずれにしても鉱山の収益還元評価方法たることには変りがない。)。

原告は、阿仁鉱山の譲渡代金は存在鉱量と設備との価額を算定したものであつて鉱業権を評価したものではないというが、埋蔵鉱物の評価がとりもなおさず鉱業権の評価となるものであることは鉱業権の性質上当然であるから原告の右主張は理由がない。

阿仁鉱山譲渡代金精算書(乙第三号証)は、前記のようにして確定した代金額をその後被告の会計処理上の必要から買収固定資産の各科目別に振分け整理して昭和二十年七月中に作成されたものであつて原告主張のように譲渡代金算定のために作成されたものではないからこれに鉱業権の価額が記載されていないからとて、鉱業権の評価がなされなかつたわけではない。

なお原告は、阿仁鉱山の鉱業権中、羽根田勇より譲受けていた分等資産として計上されていたものは譲渡契約によつて対価を取得したので貸借対照表から償却したと主張するが、右主張は譲渡契約により鉱業権が譲渡されたことを自認したものである。大体原告は、本件鉱業権につき、鉱区税を負担せず、鉱業事業上の損益も分担せず、被告から使用料も徴収していないが、このことは、本件鉱業権が被告に譲渡されたことの証左である。

一の(一)、(2) 、(ニ)の事実中、附帯契約につき作成された甲第三号証の覚書が原告主張のとおり日附を遡らせて作成されたものであることは認める。右覚書は、本来鉱業部門に属すべき電線路、受電および送電設備、鉱業用特設電話施設等が立石の作成した引継財産目録(甲第七号証)中に記載されていないことが発見されたので、これらが譲渡契約によつて譲渡されたものであることを原、被告間において確認したうえ後日のため作成したものであつて、原告主張のような経緯に基き作成されたものではない。このことは右覚書第一条の第一、二号にそれぞれ但書として「製材工場のものを除く」又は「林業用のものを除く」とあるのをみれば明らかである。

一の(一)、(2) 、(ホ)の事実中、譲渡契約において譲渡の対象を前記引継財産目録に記載された物件に限定したことは否認する。右引継財産目録は、その表紙の記載が示すとおり、阿仁鉱業所に属する建物、設備、備品のみの台帳であつて、譲渡物件の総目録ではない。従つてこれに鉱業権の記載のないのはむしろ当然である。主要坑道および未完成起業中の物件も右引継財産目録に記載がないのに現に譲渡の対象となつている。原告会社は当時その営業を林業部門と鉱業部門とに分け、それぞれ別個の勘定を設けて経営し、譲渡契約は鉱業部門に属するものをすべて譲渡する趣旨であつたから引継にさいし鉱業部門に属すべき鉱業権を特に目録に掲載する必要はなかつたが、建物、設備、備品等については、鉱業部門に属すべきものと林業部門に属すべきものとを区分けする必要があつたので、立石がその区分けをして前者を右引継財産目録に掲載した。これを受けて作成された乙第二号証に「主要ナル林業部残存物件」として記載のある建家、軌道および什器備品は原告に残されたものであるが、それは林業部門に属すべきものであつたからであつて、本来鉱業部門に属すべきものを、特に譲渡の対象から除外したものではない。しかして右引継財産目録(甲第七号証)の表紙にペン書を以て、「本目録記載以外ハスベテ林業部ノ所有ニ属ス云々」とある文言は、後日立石が記入したものであつて引継当時右文言のような趣旨の協定があつたものではない。ただし、右文言も建物、設備、備品に限つて立言したものと解せられ本来これに記載すべき事項でない鉱業権まで言及している趣旨とは解せられない。(なお甲第七号証と乙第十六号証とは同時にタイプに取られたものであつて、甲第七号証記載の数字は、乙第十六号証が訂正されたと同じように訂正されなければならない。)

昭和二十四年六月中、被告から原告に対し阿仁鉱山事務所等につき申入をなしたことは認めるが、それは当時新任の神山阿仁鉱業所長が右物件は本来鉱業部門に属すべきものと思われるのに、被告に引継がれていないのはなぜか、不審を抱き、これを原告に確かめるためにすぎず、原告主張のように特に不当な要求をしたものではない。

一の(二)、(1) 、(2) の事実中、譲渡契約の履行に必要な細目が原告主張の経緯で岡田仲裁人の仲裁判断に委ねられたこと、昭和二十九年一月中被告が本件鉱業権につき原告の脱退登録申請を要求し原告がこれを拒否したこと、これよりさき昭和二十七年三月三十一日本件鉱区中試掘権につき、原、被告が共同の出願によりこれが継続をはかつたことは認める。しかしながら本件鉱業権が譲渡契約の対象となつたことは、原、被告双方とも自明の事柄として疑わなかつた。少くとも前記登録拒否までの間においては、原告もなんら異存を唱えることがなかつたし、また被告としては後述砂鉱区の例にみられるように、原告がいつでも請求に応じて脱退登録をなすものと信じていた。右登録の問題が長く原、被告間において具体的に取上げられなかつたのは、被告においてはとり急いで原告の脱退登録を求めなくとも、鉱業事業の経営にはなんらの支障もなかつたため、他に譲渡代金の決済方法(大部分が特殊預金をもつてなされたことにつき原告に不服があつた。)、鉱業権以外の譲渡物件の帰属等の問題が存しこれにつき折衝中のこととて、ただ単に見送つて来たのであつて、原告の主張するように鉱業権が譲渡の対象から除外されたことによるものではない。試掘権継続のため原、被告が共同の出願をなしそのさい原告の脱退登録の実施を求めなかつたのも、右の事情を出でるものではない。

一の(三)の事実中、原告主張の砂鉱権につき、その主張の登録がなされ、結局被告が単独の権利を取得したこと、原告主張の石炭鉱区につきその主張の登録がなされ、原告が無償で単独の権利を取得したことは認める。しかしながら右砂鉱権のうち委託経営契約当時原告のいわゆる先願権に属した四鉱区は右契約の目録中になかつたが、当然譲渡契約中の「鉱業事業上ノ権利」に属するので、交渉の結果原告の同意のもとに、一応原告名義で施業案の申請をなした後原告から被告に対し移転登録をなしたものであり、また委託経営契約によつて、原、被告の共同鉱業権に帰した三鉱区は原告において被告の請求に応じ譲渡契約に基き脱退登録をなしたものである。この点につき、原告は、砂鉱権は林業保護に関係がないから譲渡契約とは別個にあらためて権利移転の合意をなしこれに基き登録がなされたものであるというが、右合意のなさるべき根拠が明らかでなく事実にも合致しない。なお、砂鉱区に限つて右のような登録が経由されたのは、現行鉱業法が昭和二十六年政令第二〇号により同年一月三十一日から施行され従前の鉱業法が廃止されたため、砂鉱については特に鉱業権者において新法に基き施業案の届出をなす必要があり、本件砂鉱区についても、仙台通商産業局からその届出をなすべき要求があつたので権利者の名義を書換える必要が生じたことによるものである。しかして原告は、被告が前記石炭鉱区につき脱退登録をなすにさいし、本件鉱業権につき原告の脱退登録を求めることがなかつたというがむしろ原告こそ本件鉱業権につき被告の脱退を求めた事実がないのである。

一の(四)の事業中、本件仲裁判断に委ねられた事項が原告主張の限定を受けることは否認する。むしろ仲裁契約につき作成された甲第四号証の覚書には仲裁判断に付すべき事項の一として「譲渡契約書、同附帯覚書に関する細目協定条項に関する件」という概括的表示があるところからみると、むしろ譲渡契約、附帯契約の細目に関する限り、現在の争いはもちろん将来生起することのある争いもまた仲裁判断事項とする趣旨と解さなければならない。また事実、仲裁契約締結後も、原、被告間で話合のつくものはつける方針のもとに、立石と被告会社総務部長熊沢政雄とが意見の交換を行いこれが一覧表として甲第六号証の二、三を作成したが(これは、原告主張のように被告が一方的に作成したものではない。)、これには仲裁契約締結後に起つた争点が記載されている。たとえば、甲第六号証の二、三記載の(イ)、三枚通洞坑、(ロ)、川端合宿、(ハ)、防空壕、(ニ)、水道設備等の所有権の帰属の問題がそれである。この点につき、原告はこれらの事項はいずれも仲裁契約前取上げられたものであつて、なんら新しい問題ではない旨主張するが、右主張は誤りである。すなわち、右(イ)の三枚通洞坑は原告主張のように、原、被告の協議により原告の所有と決定されたことはない。もつとも、右家屋は名義上原告の所有のままであり、またその敷地の所有権は原告にあるが、被告は現に右家屋を使用し、昭和二十九年十月には自費を投じて大修理をなし、敷地の地代も原告に支払つている。右(ハ)の防空壕は、被告が自費を以て昭和二十年五月着工し同年八月九日完成して所有権を取得したものであつて、原告主張の「倉庫」には含まれない。右(ニ)の水道設備中揚水ポンプが被告の所有、送水パイプが原告の所有であることは、原告も認めるところである。かように以上の各物件の帰属は、いずれも仲裁契約締結前全然問題にならなかつたのに右契約後原告においてこれが帰属を争うに至つたものである。仲裁契約にさいし、被告から提案した引割坑の索道設置を目的とする借地の問題が原告主張のように仲裁判断事項から削除されたことは認めるが、それは原告の強硬な主張を容れ後日別に取りきめることにしたまでのことであつて、原告主張の理由によるものではない。

二の事実中、鉱業権の登録が原告主張の性質を有することは争わないが、既に述べたように、譲渡契約においては鉱業権がその対象となつたことはきわめて明瞭であるから、結局本件脱退登録を命ずべき権利創設の原因がないという原告の主張は理由がない。また譲渡契約が原告主張の経緯によつてなされたものであることは認めるが、敗戦によりむしろ被告の取得した権利を原告に返還すべきが法理上当然であるという原告の主張は当らない。のみならず、原告が本項で主張することは結局仲裁判断中の理由を攻撃するに帰し、仲裁判断の無効又は取消の事由となるものではない。

三の事実は争う。岡田仲裁人は昭和二十九年二月二十一日被告から仲裁判断の請求を受けたので同年三月九日附をもつて、原告にその旨の通知ならびに争点に関する主張を同月二十九日までに書面を以て差出すべき旨の催告をなした。しかるに、原告から右期限までになんらの申出もなかつたので電話で打合せたうえ同年四月五日午前中、原告会社代表社員立石に面接し、書面による申出がないので直接に意見を聞きたい旨を告げ、被告より提出されていた争点に関する陳述書に基き項目別に立石の意見を聴取したが、立石から被告側代表者との対席の審訊を希望されたので、同日午後代理委任状を持参した被告会社総務部長熊沢政雄を立石と同席せしめ、双方に争点に関する主張をあらためて陳述させた。しかして仲裁判断に付せられた争点は多岐に亘つていたが、その中に含まるべき本件鉱業権の登録の問題についても、勿論双方の意見を徴した。したがつて適法な審訊があつたものであつて立石が当時これを知らなかつた筈はない。原告は、そのさい、立石が鉱業権の帰属の問題は仲裁判断の対象となすべきものではない旨陳弁した旨主張するが右主張は事実に反する。立石は鉱業権帰属の問題につきむしろこれが仲裁判断の対象たるべき事項として答弁した。それはともあれ、原告の右の主張自体からしても鉱業権の問題が争点として取上げられたこととを窺わせるものである。

いずれにしても原告の本訴請求はすべて理由がないと陳述し、

立証として、乙第一ないし第三号証、第四、五号証の各一ないし三、第六号証の一ないし六、第七号証、第八号証の一ないし三、第九ないし第十七号証、第十八号証の一、二および第十九号証を提出し、乙第十九号証は財産引継にさいし作成されたものであると附陳し、証人乾義雄(第一、二回)、同久保轍三(第一、二回)、同熊沢政雄、同岡田完二郎の各証言を援用し、甲第六号証の一ないし三のうちペン字ならびに鉛筆書部分の成立のみ不知、その余の成立は認める、甲第九号証の一、二、第十号証、第十一ないし第十三号証の各一、二、第十五号証の一、二、第十七号証、第十九号証の一、二の各成立は不知、甲第十六号証の原本の存在ならびに成立およびその余の甲号各証の成立は認めると述べた。

理由

まず本案前の弁論につき判断する。

「本訴請求中、登録義務不存在確認請求は、仲裁判断が法律的評価において存在し得ず仮に存在しても無効であることを理由として一応形式的には存在する仲裁判断が命じる義務の不存在の確認を求めるものであり、仲裁判断取消請求は、民事訴訟法第八百一条に基き同一仲裁判断を取消しこれが命じる義務の排除を求めるものであつて、いずれも仲裁判断の命じる義務を免れることを以て終局の目的としている。しかして今もし後者に理由があつて仲裁判断が取消されれば、これが命じる義務も自然存在しないことが確定することは、まさに被告所論のとおりであるから右両請求をその各個につき他の請求の当否に関係のない単純な併位的申立と解すれば、一方が確認の訴、他方が形成の訴であるとはいえ、重複の譏を免れない。けれども右両請求はそのいずれかに理由があるときはそれだけでよく終局的目的が達成される関係にある以上、特段の事情がない限りその各個につき他の請求に理由があることを解除条件とする選択的申立(その間に順位を設くべき根拠もない。)と解するのが相当である。とすれば前記のような請求の重複の問題は解消し、本件確認請求につき被告主張のように即時確認の利益の存在が疑われる理由はないから被告の本案前の主張は採用しない。」

進んで本案につき判断する。

原、被告間において、阿仁鉱山につき原告主張の日時譲渡契約ならびに附帯契約が締結され(但し譲渡の対象に鉱業権が入るか否かについては争がある。)、前者につき甲第二号証の契約書、後者につき甲第三号証(作成日附は遡求して記載された。)の覚書が各作成されたこと、譲渡契約(甲第二号証の第五条)において後日の協定に留保された契約履行上必要な細目条項につき協議が纒まらず、加えて新らたな問題も生じたのでこれが解決を計るため仲裁契約が締結され、これにつき甲第四号証の覚書が作成されたこと、これにより岡田完二郎が仲裁人に選任され前記細目につき昭和二十九年四月八日別紙記載の主文を以て仲裁判断をなし、その頃民事訴訟法第七百九十九条第二項所定の手続を了したことは、当事者間に争がない。

そこで仲裁判断に委ぬべく合意された事項の範囲につき考えてみると、成立に争のない甲第四号証の覚書には仲裁判断の根拠となつたものと認むべき事項として、「譲渡契約書(甲第二号証)、同附帯覚書(甲第三号証)に関する細目協定条項に関する件」なる相当概括的な表現を以てした記載がある。

しかしながら、右同号証、成立に争のない甲第二、三号証、同第五号証の一ないし五、同第七号証、同第十七号証、乙第十四号証、ペン書以外の部分の成立に争のない甲第六号証の一中右ペン書以外の部分、原告代表者本人尋問の結果ならびにこれによりペン書ならびに鉛筆書の部分の成立が認められ、その余の部分の成立に争のない甲第六号証の二、三、証人山田正男の証言ならびにこれにより真正に成立したものと認める甲第九号証の一、二、証人熊沢政雄の証言(後記信用しない部分を除く。)ならびに当事者間に争のない事実を合せ考えれば、原、被告間においては、譲渡契約に先立ち譲渡の目的たるべき財産につき甲第七号証の引継財産目録を作成したが、右契約締結後、先ず昭和二十年七月中右目録に記載のない(一)、(1) 、電線路、受電及び送電設備一式(2) 、鉱業特設電話設備一式ならびに(二)、山内軽便軌道の帰属、使用関係等が問題となつたので、協議の結果、附帯契約をなしこれにより右(一)の(1) の物件は製材工場のものを除き、(2) の物件は林業用のものを除きいずれも譲渡の目的となつたものであることならびに右(二)の物件は無償で双方の共用すべきものたることを確認するとともに右(一)の(1) 、(2) の各物件は被告が事業を廃止したときは適正価格で原告に譲渡すべきことを約し同年九月七日甲第三号証の覚書を交換したものであること、ところが昭和二十一年九月頃以降に至りやうやく譲渡契約において保留された契約履行上必要な細目が更に個々具体的に問題となつて来たので、昭和二十二年六月三日これを至急協定することとし同年七月二十八日原告から被告に対し、(三)、(1) 、協和会館、(2) 、無量湯、(3) 自動車車庫、(4) 専用側線及び積込場、(5) 、社宅、(6) 、所員合宿、(7) 、鍛治場、(8) 、木工場、(9) 、水道設備は双方の共用とすべきものたること、(四)、前記(一)の(1) 、(2) の物件は双方の共用するもの等いやしくも原告の使用に関係がある限り(甲第三号証の覚書においては製材工場または林業用のものと限定されているが)原告の所有たること、(五)、前記(二)の軌道(甲第三号証の覚書により双方の共用たるべく定められた)は、(1) 、菅草から銀山積込場に通じるもの及び(2) 、三枚から小沢選鉱捲上場に通じるものを指称すること、(六)、共用物件につき(1) 、その維持費の負担額は現場において協定すべきことならびに(2) 、被告が不用となつたときは原則的には引継価格で例外的には時価の五十パーセント以内の協定価格で原告に譲渡すべきものたること、(七)、譲渡契約の目的となつた倉庫品は原告が必要とするときは引継価格で譲渡を受け得べきものたることを確定すべく申込れた(甲第五号証の一)ところ、同年十一月二十一日被告から原告に対し(八)、前記(三)の諸設備についてはその(7) の鍛治場を除きできる限り原告に使用の便宜を計り原告に鍛治の必要があるときは被告が原告の註文を受けてこれを請負うべきこと、(九)、前記(四)の申入にかかる前記(一)の(1) 、(2) の物件については甲第三号証の覚書のとおりに取扱いその区分は現場において確定すべきこと、(十)、前記(二)の軌道については前記(五)の申入を了承するが(五)の(2) の軌道の管理は被告がなすべきこと、(十一)、前記(六)の(1) の申入は了承するが同(2) の申入については甲第三号証の覚書(第四条)を準用して決すべきこと、(十二)、前記(七)の申入については既に現場において区分の協定が成立して解決済であるがなお協議に付して処置すべきことを回答した(甲第五号証の二)こと、その後昭和二十三年一月十五日原告から被告に対し(十三)、前記(三)ないし(七)の申入が原告の存立上絶対的に必要とするものであること等を重ねて申入れ(甲第五号証の三)昭和二十五年十月二日被告から原告に対し、(十四)、前記(九)及び(十一)の回答の趣旨を更に申送り(甲第五号証の四)次で昭和二十六年一月中当時被告会社の常務取締役を退任していた岡田完二郎の立合、勧告により以上の問題につき折衝を重ねたこと、その結果被告は一応の成案を得、これを「阿仁鉱山譲渡細目協定書」なる表題を付した文書(甲第六号証の一)に作成し同年六月四日原告に交付し原告において受諾しなかつたので原告のため若干有利な条項に改め同年七月五日これを「協定書」なる表題の文書(甲第五号証の五)に作成して原告に交付したがこれも原告の受諾するところとならなかつたこと、しかも当時原、被告間においては(十五)、譲渡契約に関しては、(1) 、双方が協定に留保された細目として折衝していた前記各事項の外に、(2) 、特殊決済をなした代金の当否の問題があつたのみならず(十六)、譲渡契約と関係なく(1) 、かねて被告が原告に申入れていた太良鉱山廃泥推積場に使用することを目的とする土地賃貸借の設定、(2) 、阿仁合町において双方の各所有する建物その他の設備の使用料及び損害金の額(3) 、日本橋室町の土地及び阿仁、太良、院内三山の土地の各賃貸借の条件が懸案となつていたのでこれらを一挙に解決すべく昭和二十八年八月中前記岡田完二郎を交えて数回折衝が行われたが結局全面的妥結に至らずこれがため右折衝によつて妥結しない事項を仲裁判断に付すべきこととなり同月二十九日前記(十六)の(1) の問題については原告のため林道、運搬設備をなすことを条件として被告のため同年九月一日を始期とする賃借権を設定すること、右岡田を仲裁人に選定して右借地使用のため原告の蒙るべき損害補償金の問題ならびに前記(十五)の(1) 、(2) 、(十六)の(2) 、(3) の問題(前記(三)の(3) 、(4) 及び(7) の各設備については分割可能なものは原告に返還し分割不能なものは原告の使用区分等を定めること)につき仲裁判断に服すべきこと(この点の契約が仲裁契約である)等を約したこと、超えて同年十一月から十二月にかけても仲裁判断の資料を提供するため原、被告の手により前記(十五)の(1) の問題等につき各自の主張条項が取纒められ文書(甲第六号証の二、三)に作成されたこと、しかるに一方仲裁契約締結以前は勿論、少くとも右甲第六号証の二、三の文書が作成されるまでには原、被告間において本件鉱業権が譲渡契約による譲渡の目的に含まれるか否か、もしくはこれが含まれることを前提としてその登録方法をいかにするかというような点に関しては特に紛争はなく従つて折衝が行われることもなかつたこと、以上の経緯から推すときは甲第四号証の覚書中仲裁判断に付すべき事項として「譲渡契約書、同附帯覚書に関する細目協定条件に関する件」とあるのは前記(十五)の(1) すなわち(三)ないし(七)の問題を指称する趣旨で記載されたものであることが認められる。

被告は右覚書の記載が前記のように概括的表現をなしたのは譲渡契約の細目に関する限り現在の争はもちろん将来発生しうべき紛争一切を仲裁判断に委ねる趣旨と解すべきである旨を主張し、仲裁契約後、原、被告間において各自の主張を取纒めた甲第六号証の二、三の文書には仲裁契約前原、被告間において取交された甲第五号証の一ないし五、同第六号証の一の文書に少くともそのままの表現では記載のない三枚通洞坑、川端合宿、防空壕、水道設備等の所有権の帰属の問題の記載があることを挙示するが、仮に右問題が仲裁契約前具体的に折衝された問題と異り新らたに生起したものであるとしても、それだけで甲第四号証記載の趣旨につきこれを被告主張の如く認むべき理由はなくその他前記認定を覆して被告の主張を肯認するに足る証拠はない。もつとも、仲裁契約に先立ち昭和二十六年中、(イ)、委託契約により原、被告の共同鉱業権に帰した三砂鉱区(秋田県採掘権登録第九七号、第九八号、第一一三号)につき原告の脱退登録をなし、また、(ロ)、委託契約当時原告において出願中のいわゆる先願権を有しその後採掘の許可を受けた四砂鉱区(秋田県採掘権登録第一一四号、第一二四号、第一二五、第一二六号)につき被告の権利取得の登録をなしたことは当事者に争がなく、証人乾義雄の証言により真正に成立したものと認める乙第四号証の一ないし三、同第五号証の一ない三、同第六号証の一ないし六によれば右各登録をなすについては被告から原告に対し右(イ)の鉱業権は譲渡契約により被告において譲渡を受けたもの、右(ロ)の鉱業権は被告において委託経営契約により共同鉱業権を取得し譲渡契約により更に譲渡を受けたものであるとの理由を付して手続に協力を求めたものであることが窺われるけれども、原告会社代表者本人尋問の結果によれば右砂鉱区の登録は被告の申入の都度これに付された理由の当否あるいはさらに本件鉱業権一般につき原告の脱退登録の要否が問題とされることなく即座に原告の協力が得られたものであることが認められるから右砂鉱区の登録の事実は甲第四号証の覚書記載の趣旨に関する前記認定の妨げとはならない。してみると、本件鉱業権につき原告の脱退登録をなすべきか否かの問題のごときは、仲裁契約当事者間においてこれを予想し仲裁判断を受くべく合意したものと解すべき余地はないと同時に岡田仲裁人においても甲第四号証の前記表現に拘らず以上説示の仲裁契約の内容を十分諒解していたものといわなければならない。しかして証人山田正男の証言により真正に成立したものと認める甲第十号証、同第十一号証の一、二、同第十二号証の一、二ならびに原告代表者本人尋問の結果を合せて考えると、譲渡契約における本件鉱業権の譲渡の有無の問題は実に仲裁契約締結の後も後、甲第六号証の二、三の文書作成の後たる昭和二十九年一月十二日に至り被告から原告に対し右鉱業権につき原告の脱退登録を求めたことから始めて契約当事者間において論争の対象となつたものであるが、原、被告間において右問題を追加的に仲裁判断に持込むことを合したことはなく、同年四月五日仲裁人岡田完二郎がこの点につき原告代表者立石の意見を徴したさいにも、同人は右問題は、仲裁判断に委ねたものでない旨強調したことが認められ、右認定に反する証人熊沢政雄、同岡田完二郎の各証言部分は、これを信用し難く、その他右認定を覆えすにたる証拠はない。

要するに、本件鉱業権登録の問題は、原、被告間において、仲裁契約締結当時はもとよりその後においても仲裁判断事項の対象とはならなかつたものといわざるを得ないところ、仲裁判断に付すべき合意のない事項については仲裁手続を許すべきではないから本件仲裁判断において原告に対し本件鉱業権につき脱退登録手続を命じたのは、まさしく民事訴訟法第八百一条第一号にいわゆる「仲裁判断を許すべからざるとき」なる取消事由に該当するものといわざるを得ない。

それならば、本件仲裁判断の取消を求める原告の請求は正当としてこれを認容すべきである。したがつて前説示のようにこれと選択的に併合して申立てられたものと解すべき登録義務不存在確認の請求については特に審判しない。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 駒田駿太郎 高津環 糟谷忠男)

目録

一、秋田県北秋田郡阿仁合町地内

秋田県採掘権登録第八五号

金、銀、銅鉱

面積七六一四八八坪

一、同町地内

同県採掘権登録第八六号

金、銀、銅鉱

面積九六九八五八坪

一、同町地内

同県採掘権登録第九〇号

金、銀、銅鉱

面積五九五八七〇坪

一、同町および同郡前田村地内

同県採掘権登録第四〇一号

金、銀、銅、鉛、硫化鉄鉱

面積三七六五〇〇坪

一、同郡阿仁合町地内

同県採掘権登録第四三三号

金、銀、銅、鉛、亜鉛、硫化鉄鉱

面積三四五〇〇坪

一、同町地内

同県採掘権登録第四四二号

金、銀、銅、硫化鉄鉱

面積四四五七〇〇坪

一、同町地内

同県採掘権登録第四五四号

金、銀、銅、鉛鉱

面積四九八八〇〇坪

一、同町地内

同県採掘権登録第四七八号

金、銀、銅鉱

面積四六七六〇〇坪

一、同町および同郡上小阿仁村地内

同県採掘権登録第七一七号(旧試掘権登録第一三二六四号)

金、銀、銅鉱

面積八七七五〇〇坪(二九〇〇八アール)

一、同郡小阿仁村地内

同県採掘権登録第七一八号(旧試掘権登録第一三二六五号)

金、銀、銅鉱

面積九七四五〇〇坪(三二二一五アール)

一、同郡阿仁合町および大阿仁村地内

同県採掘権登録第七二〇号(旧試掘権登録第一三三一〇号)

金、銀、銅、鉛鉱

面積六〇五二〇〇坪(二〇〇〇七アール)

一、同郡前田村および阿仁合町地内

同県採掘権登録第七一六号(旧試掘権登録第一三三二一号)

金、銀、銅、鉛、亜鉛鉱

面積七三四七九〇坪(二四二九〇アール)

一、同郡阿仁合町地内

同県採掘権登録第七一四号(旧試掘権登録第一三、七八二号)

金、銀、銅、鉛、亜鉛、硫化鉄鉱

面積四八五五〇〇坪(一六〇五〇アール)

一、同町地内

同県採掘権登録第七一五号(旧試掘権登録第一四〇三〇号)

金、銀、銅、鉛、亜鉛鉱

面積一五七三〇〇坪(五二〇〇アール)

一、同郡大阿仁村地内

同県採掘権登録第七一九号(旧試掘権登録第一四八一四号)

金、銀、銅鉱

面積七二五〇〇〇坪(二三九六七アール)

仲裁判断主文

第一、古河林業合資会社は左記鉱業権に就き直に(遅くも昭和二十九年四月十五日までに)古河鉱業株式会社と共に、古河鉱業株式会社単独の所有名義となるよう一切の登録手続を取らるべし。

(鉱業権の表示は、前記目録に列挙されたところと同一であるから省略する。たゞしそのうち秋田県採掘権登録第七一七号以下七鉱区については、右目録中括弧内の試掘権登録番号を以て表示されている。)

第二、古河鉱業株式会社は左記鉱業権に就き古河林業合資会社と共に古河林業合資会社単独の所有名義となるよう直に(遅くも昭和二十九年四月十五日までに)一切の登録手続を取らるべし。

秋田県北秋田郡大阿仁村地内

秋田県試掘権登録第一三六八四号

石炭

面積 五十九万千九百坪

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